カテゴリ:ボクシング( 80 )

昨日は

昨日、私が指導しております選手の試合がありました。

試合といいましてもスパーリング大会みたいなものでしたし
今週、来週と出かける用がありますので
先に仕事を片付けてしまおうと
試合は見に行きませんでした。

夜遅くに電話が掛かってきまして
判定で負けたという事でした。

練習も頑張っている事は
頑張っているのですが。

何かが足りない。
何かが欠けている。

練習で出来ても試合では出来ない事は
当然あるし、また、練習で出来ない事が
試合出来るわけがない。
もし、普段出来ない事が試合で出来たら
それは、ただの偶然だから勘違いしないようにと。
悔しいと思ったら、その気持ちを
絶対に忘れるな。弱い奴はすぐに忘れる。

そんな話を10分ぐらいしたのですが
これまでと違って
何か気合が入っていて
「来週もよろしくおねがいします」
の声に凄く力がありました。

今日、応援に行った者に
話を聞きましたら、凄い試合だったらしく
前半は一方的だったのですが
後半はかなり追い上げて激闘となり
試合終了後は凄い拍手があったという事です。

あんな試合が出来るとは
想像が出来なかったとの事です。

話を聞いて
彼は彼なりに手ごたえがあったから
声に力がこもっていたのだと思いました。

試合を見にも行かないで
少し厳しい事を言い過ぎたかなと
反省しました。

でも、負けた罰金で
食事は御馳走してもらいます。
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by fukui-curry | 2009-03-23 23:54 | ボクシング

袴田さんは無実です。

昨日は、袴田巌さんに関する会合に出席する為に浜松に行って来ました。
浜松に着きまして、改札を抜けますと土曜日でしかもホワイトデーという事も
あってか若い男女が楽しそうに歩いている姿が多く見られました。

待ち合わせをしていました、元プロボクサーT氏と袴田さんの御姉さんの
自宅にむかいました。

会合が終りましてT氏に駅まで送ってもらう車中の中で
他愛もない話をしていたのですが車の中から
周りを見渡すと普段の浜松の街とは違い
夜遅くになってもまだまだ、多くの人達が
楽しそうに歩いていました。


ふと、こんな言葉が口から出ました。

「俺達が何にも考えないで、選手の頃は自分達が強くなる事だけ。
トレーナーになったら、選手が勝つことだけ
そんな事しか考えてなかった頃。
そのボクシングジムから
それ程離れていないところで
御姉さんは一人で闘ってたんだよね」

袴田事件につきましては
「袴田事件」報告 といいますブログか、または
「雨やどり」富士山の麓 山の中の半自給自足の男からの命の発信
というブログの
2月27日  「熊本裁判官の涙」
3月4日   「朗報 袴田巌さんの御姉様が「保佐人」に」
に詳しく出ておりますので、どうか御覧になって下さい。

袴田巌さんは無実です。
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by fukui-curry | 2009-03-15 18:34 | ボクシング

今度は

この頃、少しハードな運動をしますとすぐに何処かを
怪我をしてしまいます。

先日の顎に続いて今度は右足を捻挫してしまいました。
かなり痛いです。
昔は捻挫ぐらいなら一日休めば
何とかなったんですけど
今はとても無理です。

そろそろ
おとなしくしようかと
思います。
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by fukui-curry | 2009-03-10 19:21 | ボクシング

デビュー戦 3

その日に行われる興行は全て4回戦の試合でした。全部で16試合ありまして、体重が重い順に
試合を行っていきますのでLフライ級の私は15試合目でした。6時試合開始なので、本来なら
会場にはゆっくりと入ればいいのですが、その日は朝、検診が出来なかった為、4時に後楽園ホールに
入らなければなりませんでした。
検診はすぐに終りまして、選手はそれぞれどこかに消えていきました。
私は別に行くところもなかったので、そのまま、控え室に残っていました。私以外には
もう一人別のジムの選手が残っていたのですが、その選手はかなり厳つい人で、別に話しかける必要も
ないし、向こうも話しかけてこない為、2人でじっとしていました。

そのうちに、その選手のジムの選手が控え室にやってきました。
(その選手は後に日本タイトルを2階級制覇した人です。)数日前に私のいたジムの選手と試合を
したばかりで、そんな事を話したのがきっかけで話が弾んでそれぞれのジムであったことを大笑いを
しながら3人でずっと話してました。
それから数年後、その彼が日本チャンピョンになった時に、ボクサー仲間数人で
祝勝会をやったのですが、あの厳ついボクサーの正体を聞きびっくりした事がありました。

試合の事はほとんど覚えていません。
試合前にリング中央でレフリーに注意を聞いているときに「いい睨み合いだなー」と
声が掛かった事。
4ラウンドの始まる前のインターバルの時にくたくたで、セコンドから何を言われても
耳に入らないような状態の時に当時、ジムの先輩の為に指導に来ていましたある有名トレーナーの
方に右の耳元で大声で「ボーイ返事するの!!」と怒鳴られたのは覚えています・

覚えているのはそんな事ぐらいです。
あとから、試合の話を聞きますとなかなかの激闘だったという話でした。

試合は判定で勝つ事が出来ました。
これでまだ、ボクシングを続ける事が出来るなという事を
考えていたような気がします。
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by fukui-curry | 2009-03-07 09:55 | ボクシング

デビュー戦 2

試合のチケットは苦労しながらも何とか売り切ることが出来ました。ただ、定価で販売していたわけでは
なく、かなり安い値段で販売をしていたので、手元に残った御金は微々たるものでした。

試合に向けての練習も、順調とはとても言えるものではありませんでした。
丁度同じ時期に私と同じ位の階級の先輩も試合が決まっていました。その先輩の対戦相手は
後に世界チャンピョンとなる、アマチュアから鳴り物入りでプロに転向した選手でした。

私の先輩もまたジムのスタッフもかなり気合が入っていました。
スパーリングもその先輩の練習スケジュールに合わせるという感じで行いまして
連日かなりハードなスパーリングが続きました。
そんな時にスパーリングで左目を負傷してしまいまして、試合前にスパーリングが出来なくなって
しまいました。
デビュー戦という事でかなり不安になりまして試合の二週間ぐらい前に当時私を指導してくれて
いましたトレーナーにその旨を話したところ、「お前は毎日走っていたから大丈夫だ」の一言で
した。
結局、試合前の一ヶ月で行いましたスパーリングは14ラウンド、一日2ラウンドで7日やっただけでしたが
スパーリングの回数が少ないという不安は試合前全然なかったです。


デビュー戦を控えた選手はとかく不安になります。私が指導していました地方のジムですと
練習生自体が少ない為に普段からスパーリングがあまり出来ないので、試合前は
その事についても不安を口にする選手が多かったですがそんな時はいつもこの話を
していました。
ただ、みんな信じていなかったですが。
 
そんなこんなで、デビュー戦当日を迎えました。
当時は今とは違いまして、計量は試合の日の朝に行いました。
私のいたジムでは、計量は当時のマネージャーの運転する車で行っていました。

計量は後楽園ホールで行います。普段ですと計量が終ってから
コミッションドクターの検診があるのですが、その日は急患が入った為に
検診は試合の前に行われる事になりました。そのような訳で食事はすぐに
取れる事となりました。


計量後は近くのビジネスホテルに移動して食事を取るのですが
私のいたジムでは計量後に飲むスープを会長の奥様が作ってくれていまして
それを飲んだら、満足してしまって、計量後の食事も、本に出てくるような感動的な
美味しさは無かったです。
今にして考えればそのスープは家庭用のスープの素に細かく刻んだ肉、野菜などが入った物だったのですがとても美味しい物でした。

多分、味にこだわりのある方なら、笑ってしまうようなスープかもしれませんが
身体にいいとか、悪いとか。美味しいとか、不味いとか。そういう次元の話には
関係なく、私には、心に残る思い出の味です。
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by fukui-curry | 2009-03-05 10:48 | ボクシング

デビュー戦は

私がプロボクサーとしてデビューした日は昭和60年の12月の事です。その前にプロテストというものが
ありまして、そのテストは同じ年の4月にありました。
その日に一緒に4人が受験しまして、全員合格でした。

私を除く3人は次々とデビュー戦が決まっていったのですが、私だけが全然決まらず
10月の後半になってやっと決まりました。

試合が決まりましてとても嬉しかったのですが、その前に一つ難関がありました。
当時、私の所属していましたジムでは、ファイトマネーが自分の出場する試合のチケットで
支払われるという事がほとんどでした。
4回戦の場合は3千円のチケットを34枚貰います。
そして、そのチケットを自分で売って御金に換える訳です。
で、その中からマネージャー料と健康保険料として1万8千円をジムに支払います。
この金額は一生忘れないんじゃないかと思います。

東京出身の人達なら家族、親戚、友人などに買って頂くという事も出来ますが
私のような地方出身者には本当に大変なことでした。

東京に行ってある程度期間が経っていれば、まだ友人も多少は出来たかもしれませんが東京に
行って一年あまりで、しかも、ジムと仕事場の往復だけの生活ですから友人もそれ程出来る訳もなく
チケットの販売には本当に苦労しました。

今になって考えればいい勉強をさせてもらったなと思います。

試合については、また日を改めて続けたいと思います。
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by fukui-curry | 2009-03-03 15:43 | ボクシング

18年前の今日は

18年前の今日、3月1日は私の最後の試合となった日です。
この日とデビュー戦の日はなぜか忘れているようで、はっと思い出します。

ほかの試合の日の事やそれ以外でも忘れている事はかなり多いのですが
何故かこの二日だけは忘れません。

この頃、カレーの御客様とお話しする際に御客様のほうから
よくボクシングの話題をして頂きます。
私自身に話題がないから御客様が気を使ってくれているのかも
しれませんが。

他人の試合の寸評などはあまり好きではありません。
勝ち負けの事について言えば、判定などはジャッジの見方でかなり左右されて
しまう事もありますので、一概にこちらが勝ったから強いとはいえないところも
あると思いますので。
確かに勝負事ですから、勝った方が強い、という事はあるでしょうが
そのように割り切ってしまうのは、自分もプロのリングに立っていた人間ですが
何か寂しいような気がします。

そんな訳で、しばらく、自分の体験した事だけですが
少しづつ書いていこうと思います。

あまり感動するような話はございませんが
どうかお許し下さい。
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by fukui-curry | 2009-03-01 00:18 | ボクシング

顎が痛いです

私が指導に行っています、ジムの選手が3月の後半に試合に出場します。
その為、私がスパーリングの相手をしているのですが
この頃、不用意にパンチをもらってしまいます。
体力はあるつもりでも、集中力が無くなっているようです。

左フックをもらったようで
右側の顎が痛くて、口が大きく開きません。
まいりました。

明日の朝、直っている事を祈ります。
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by fukui-curry | 2009-02-24 20:53 | ボクシング

ボクシングの事 2

浜松のそのジムの会長はスパーリングが大好きでしたのでジムに行った日は毎日スパーリングでした。
当時、私は体重が52,3㎏位で先輩は皆、身体はでかいし、経験はあるし、しかもプロの人もいる。という事で毎日、毎日、ボコボコにされてました。今、考えるとよく大怪我しなかったなと
思います。でも、一度、体の大きい先輩とやって時に、鼻にパンチをもろにもらって腫れ上がってしまい、翌日、学校に行くとみんなビックリしてました。

やられて当たり前なんですが、無茶苦茶悔しくて、絶対にやり返してやると思って意地で
猛練習をしてました。

最初の頃は「豊橋から来てる高校生のお兄ちゃん」という感じで見てた先輩達も
途中から段々本気モードに入ってるのが判りました。

一度、同じ位の階級のプロの先輩とスパーリングをした時に、その先輩が鼻血を出しまして
スパーリング後、その先輩が会長とトレーナーから「何やってんだお前は!」と怒られていたのは、はっきりと覚えています。

丁度この頃、私の知り合いが浜松に遊びに来ていて、駅周辺でお金をたかられたり、殴られたりするような事が何度かありました。話を聞くと同じようなグループが相手のようでした。

数日後、帰りの電車を一本遅らせて、何かいい事がないかなと、そのグループをドキドキしながら駅前で待っていたのですが、残念ながらいい事はやってきませんでした。

今はもうそういう事では全くドキドキ致しません。
ほかの事でドキドキしたいですね。

雑穀の伝道師のОさん、何かドキドキする事を御願い致します。

でも怖い事や痛い事は止めて下さい。
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by fukui-curry | 2009-02-18 00:37 | ボクシング

ボクシングの事 

今、週に一度だけですが、ボクシングを教えに行っております。プロのジムではありませんので
それ程、強い選手はいないのですが、空手、キックボクシングなど他の格闘技で試合に
出場する選手が練習に来ておりますので、アマチュアのジムですが割りと厳しくやっております。

私がボクシングを始めたのは17歳の頃でした。当時、豊橋市にはボクシングジムが
ありませんでしたので、浜松のボクシングジムまで通っておりました。

そのボクシングジムは猪野健治さんが書かれた本に登場してくるような親分が始めたジムで
その親分がジムの経営から手を引くという事になりまして、当時の若い者のうちの一人が
跡を継いでジムは存続する事となったという事です。

入門した時は、ジムの会長はともかくとして、おっかなそうな顔をした先輩も何人か
いましたが、不思議と怖さはなかったです。

怖いという気持ちよりも、ボクシングジムに入門できた嬉しさと、そういう怖そうな先輩がいた方がボクシングジムらしくていいなと、ワクワクしていたのだと思います。

浜松まで通うには、自転車、電車、徒歩と、つないで約一時間掛かりました。
電車代と月謝でお金もかなり掛かりましたので、週に4日バイトをして3日ジムに
通っていました。

ロードワークは雨が降ろうが、何があろうが絶対にやってました。
ジムに行った日も、帰ってきてから走っていました。ジムにいけない日は普段の倍ぐらい
走っていました。

ボクシング漫画を読んで自分で練習をしてましたので、東京のジムに入門するまで
ずっとそういうものだと信じていました。

ボクシングを始めてから、インスタントラーメンや炭酸飲料などそういう類の物は
食べなくなりました。
これも全部本で読んでそういうものだと思ってました。

ですから、体が炭酸にすっかり弱くなってしまい、今でもすきっ腹の時や、少し疲れた時に
ビールなど飲みますと、一気に酔いが回ってしまいます。

スパーリングは、ジムに入門して2日目に初めてやりました。相手をしてくれた先輩は
フェザー級の10回戦を戦う先輩でした。今、考えると信じられない話ですが、本当です。
内容は覚えておりませんが、ゴングが鳴ったときに先輩の顔が急に怖くなった事だけは
今でも覚えております。

今日はこんなところで。
また、続きます。
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by fukui-curry | 2009-02-17 10:06 | ボクシング